犬が登場する本

「ユリシーズの涙」
(ロジェ・グルニエ著 宮下志郎訳,みすず書房・155ページ・2300円)
Roger Grenier  1919年仏カーン生まれ.作家.著書に『シネロマン』『水の鏡』ほか.

犬への畏敬と愛情と悲しみの動物慈しむ
評者・池内 紀(ドイツ文学者)
 グルニエ家の愛犬ユリシーズが死んだとき,主人は二度と犬は飼いまいと思った.もういっしょに散歩できない.ひそかな合図を交わしあえない.不思議なまでに深い交感で結ばれていた,あの人生の道ずれがいなくなった.何よりも犬は人間の何分の一かの寿命を定められている.遅かれ早かれ喪失を覚悟しなくてはならない.犬がよく「悲しみの動物」といわれる意味を思い知った.
 ユリシーズとの散歩のかわりに,ユリシーズにひっぱられるようにして,犬を主題にした文学作品をめぐって散歩することにした.その道すがらに生まれた,味わい深い,ちいさなエッセイが四十あまり.親しみとユーモアをこめて,さりげなく,とともにたえず身近に見つめてきた人のこまやかな観察にもとづいて語られている.犬の喜びと悲しみ,誇りと恥じらい,警戒,不安,固有の習性,絶望..... そこに一貫して流れるているのは,このすぐれた生き物に対する深い畏敬と愛情だ.
 とこれで人間は犬について何を知っているだろう.その限りない無私の愛情に酬いる何をもっているだろう? たいていは平然と自分たちの尺度をおしつけて見下している.その無知,無神経,えて勝手ぶり,傲慢さかげんはどうだ.犬が好きになると人間が嫌いになる.
 「犬を愛することは,多かれ少なかれ,人間についての絶望心を惹起せずにおかない」
 私自身,つい昨年,ながらくつき合ってきた犬を亡くした.だからよけいに悲しく.セツなく.そして辛い本だった.たしかに私は愛犬を失って途方にくれた.しばらく仕事が手につかなかった.痛恨の思いを文につづった.しかし,実をいうと私が愛したには我が家の犬であって,よその犬は嫌いである.たいていはニクらしいのだ.
 「だれしも犬について語るときは本心をあらわすもので,その人の性格が露呈する」
朝日新聞・日曜版・読書 2001年(平成13年)1月28日


「犬大将ビッキ」
出久根達郎著,中央公論新社・218ページ・1,650円)
でくね・たつろう 1944年生まれ.作家,古書店主.著書に『佃島ふたり書房』『猫の似づら絵師』ほか.

病気の犬と母の老い 飄々とつづる介護記
評者・北上 次郎(文芸評論家)
 夕刻,犬を連れて歩いていると,多くの犬とすれ違う.こっちが散歩なら,あっちも散歩.キャンキャン吠える犬,暗い目をした犬.遊びたがる犬におとなしい犬.さまざまな犬と次々にすれ違う.こんなにも多くの犬がいることに,うかつなことに自分が犬を飼うまで気がつかないものだ.みんな,大変だなあと思う.毎日散歩させなくてはならないから,こらが意外と手間だ.犬を飼うには体力がいる.
 たとえば出久根さんちのビッキはよく病気する犬で,そのたびに病院に連れていくのだが,病気のペットをいかにして病院に運ぶか.その手段に悩むくだりは他人事ではない.自家用車がある人,家族の多い人,金や時間に余裕のある人などはいいが,そうでないと途方に暮れるのである.出久根さんちでは脱衣籠に丈夫な紐をつけ,首から吊るす駅弁の売り子さん状態を開発するのだが,これだって体力がいる.ビッキが死んだあとで,年齢的に「犬を飼えるのはせいぜいあと一匹」だとカミさんが言うくだりは象徴的だ.
 ところで本書は「そもそも私はビッキという犬を中心に,二人の年寄りの晩年を描くつもりだったのである」とあとがきにあるように,著者の母と義母という二人の「バアさん」が登場する.元もビッキは母親のボケ防止と話し相手のために飼い始めたのだが,犬は横目を使うから虫がすかんと嫌われ,結局は出久根さん夫妻が飼うことになったという経緯がある.母の歩行が不自由になり,部屋を這うように移動しているとき,ビッキがはしゃいで「バアさん」の顔を嘗めると「犬になめられるようになっちゃ,人間もおしまいだよ」といまいましそうに言う場面は,哀しくもおかしい.つまり本書は老いた母の介護記でもあるのだが,それが飄々としたエッセイとなっているのは,そこは病気がちのビッキではあっても,こどものようにはしゃぎまわる犬を重ねているからにほかならない.犬を飼うには体力がいるが,元気をあたえてくれるのもまた犬なのである.犬馬鹿の私はそう思う.
朝日新聞・日曜版・読書 2001年(平成13年)1月28日


「月は沈みぬ」  
スタインベック 瀧口直太郎譯
新潮文庫 
昭和28年11月20日 發行
昭和33年11月25日 9刷
"The Moon Is Down" 1942
Jhon Sreinbeck,1902-

P162 
第7章
 暗い晴れた晩で,白い半ば凋んだ月は,ほとんど地上に光を投げていなかった.風は乾いて,雪の上をさらさらと吹きわたっていた.たえまなく寒い北極からまっすぐに吹きおろしてくる,しずかな風であった.地上に降りつんだ雪は非常に深く,砂のように乾いていた.家々は山なす雪の谷間におたがいに寄りそい,暗い窓には寒さをふせぐために鎧扉がおろされ,ただわずかな煙が埋れ火からたちのぼっているだけだった.
 まちでは歩道はかたく凍てつき,かたく踏みつけられていた.そしてどの街路も,寒さにふるえる,あわれっぽい巡視兵たちが通りすぎるとき以外は,シーンとしずまりかえっていた.家並は夜空にくろぐろとたちならび,夜明けを控えてわずかばかりのぬくもりが家々に残っているだけだった.炭鉱の入口ちかくでは,衛兵が空をみつめ,高射砲で空をねらい,聽音器を空中にむけていた.爆撃にはもってこいの,晴れた晩だったからだ.こんな晩には,羽根のついた鋼鐵の紡錘のような爆彈が,ピュ−と音をたてて落下し,轟音すさまじく爆裂するのだった.今夜は,月の光がほとんどないようであっても,空からは地上がよく見えるだろう.
 小さな家々のたちならぶ,村はずれのほうで,一匹の犬が寒さと孤獨をうったえていた.その犬は自分の神様のほうに向って鼻をあげ,自分の心にうつるこの世の有様を,いかにも長々と,しちくどく物語っていた.彼は豊かな鈴のような聲量と,?通自在な音域と,抑制力とをもった,熟練歌手であった.元気のない重い足どりで街路をあちこちする六人の巡視兵の耳に,その犬の歌聲がはいってきた.「どうもあの野郎は一晩ごとにわるくなっていくようだ.一發ぶっ放してやらずばなるまいよ.」と,外套にくるまった兵士のひとりがつぶやいた.
 するともうひとりがそれに答えた−「どうしてだ? 勝手に吠えさせておけばいいさ.あいつの泣き聲は,別におれにはわるくもきこえないぜ.おれは故郷で,よく吠える犬を飼っていたことがあるんだ.ところが,おれにはそいつを手なずけることがどうしてもできなかった.ろくでもねえ犬だったよ.あの犬の吠え聲なんか,おれにはちっとも気にならないよ.おれんとこの犬はほかの犬といっしょに連れていかれちゃったがね」生気のない聲で,ありのままの事実を語るだけだった.
 すると伍長が,「人間さまに必要な食糧を犬っころに食いつぶさせるわけにいかなかったんだろうね」といった.
「いや,おれは別に不平をこぼしているわけじゃない.そうすることが必要だったてことは,おれにもよくわかっているさ.おれなんか,とてもえらい人たちのようにものの計晝を立てることはできないんだ.だが,ここらあたりで,おれたちほどにも食糧をもってないくせに,犬を飼ってるやつがいるってことは,おれにはおかしくってしょうがないんだ.しかしやつらは,みんな,犬でも人間でも,ずいぶん痩せこけておるなあ」
「やつらは間抜けなんだよ」と伍長がいった.
「だからあんなにコロリと敗けたんだね.やつらにはとてもおれたちみたいに,ものの計晝をたてることができないんだよ.」
「いったい戰争がすんだら,おれたちはまた犬が飼えるようになるにかな.アメリカかどっかから輸入して,また犬を繁殖させることができそうに思うがなあ.アメリカには,どんな種類の犬がいると思うかね?」
「知らないね,そんなこと」と伍長がいった.「おそらく犬だって,やつらがもってるほかのすべてのものとおんなじように,気が狂ってることだろうよ」それからさらに彼は言葉をつづけて,「どのみち,犬なんて何の役にもたたんよ.警察の仕事以外に,犬のことなんかぜんぜん気にしないほうがよさそうだね」といった.
「そうかも知れんね.聞くところによると,總統は犬がおきらいだそうだよ.犬を見ると,?がむずむずしてきて,くしゃみが出てくるそうじゃないか」
「おまえはなんでもよく聞きかじってるんだな」と伍長がいった.「シッ!」巡視兵たちはたちどまった.はるか彼方から,蜂の唸るような飛行機の爆音がきこえてきた.


私のひとこと

スタインべックには,愛犬のプードル”チャリー”と,トラックを改造したキャンピング・カーでのアメリカ大陸の旅行を描いたした「チャーリーとの旅」という本があり,翻訳も出ています.

「月は沈みぬ」は,第二次大戦下ナチスドイツにより占領された,ノールウェイの小さな港町が舞台で,1944年に発表されました.先に引用した場面は,その町に駐留するドイツ兵の夜間パトロール中の会話です. 当時この作品の中で,スタインベックが,敵をあまりに人間的に描いてると批判されたそうですが,この描写からも,そんな批判が出た理由について,良くわかります. ところでこの場面では,兵士はヒットラーは犬が嫌いと言ってますが,本当はジャーマン・シェパードの愛犬がいたということです.スタインベックとしては,あのヒットラーが犬好きのはずはないと思っていたのかもしれません.

 


「 ミッドナイト」  
ディーン・R・クーンツ 野村芳夫訳
1991年1月10日 第1刷
"MIDNIGHT" 1989
Dean R.Koontz

P114
「ムース?」
 犬は隅の休息所から起き上がり,灯りのともされてない寝室を,足音もてずに横切って,ハリーのもとにやって来た.黒い成犬のラブラドールレトリーヴァーで,闇のなかではほとんどまぎれこんでしまう.犬はハリーの足,まだいくらか感覚の残っている右足に鼻を押しつけた.
手を差し伸べて,ハリーはムースを撫でた.「ビールを持って来てくれないか,きみ」
ムースは<自立を助ける犬の友の会>の手で飼育,訓練された自立犬で,用を言いつけられるといつも喜んだ.隅の小型冷蔵庫へ急ぐ.それはレストランのカウンター下用のもので,足踏みペダルを押せば開く.
「そこにはない」とハリー,「今日の午後,六本入りパックをキッチンから上げとくのを忘れてしまった」
 犬はすでに寝室の冷蔵庫にクアーズの入っていないのを見つけていた.廊下に歩む足音こそしないが,磨かれたフローリングにその爪の音が,小さくカチカチと響いた.表面が硬い方が車椅子の効率が良いので,どの部屋にもカーペットは敷かれていない.廊下で犬は跳躍し,片足でエレベーターのボタンを叩いた.するとただちに昇降機の低い唸りが家中に伝わった.
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 かれの背後で,エレベーターのドアが音をたてて開いた.ムースの乗る音が聞こえる.まもなく,エレベーターは1階へと降りはじめた.
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 エレベータ−は1階へ到着した.モーターの唸りがやみ,静けさがもどる.いまムースは2階下の,キッチンに続く廊下を急いでいる.
 エレベーターのモーターがふたたび唸った.ムースがキッチンに行き,カウンター組み込みの冷蔵庫の4枚のドアのひとつを開け,冷えたクアーズを取って来たに間違いない.いまビールをくわえてもどっているところだ.
 ハリー・タルボットは社交的な男だった.だから四肢のうちたったひとつだけ使える身体で戦地からもどって来るとき,障害者のための集団生活施設に転居するようアドバイスされた.そこなら行き届いた雰囲気のなかで,社会生活が営めるだろうというわけだ.カウンセラーたちは口を揃えて,健常者の世界で生きようとしても,受け入れられないだろうと警告した.彼らの述べるところでは,彼が出会う大多数の人から,無意識であるが,心無い残酷なあつかいを受け,なかんずく思慮の無い排斥にあい,結局は救いの無い孤独に陥るだろうという.しかし,社交性と同じように,ハリーは頑固なまでの独立心を有しており.集団施設での生活の見通しは.障害者と世話人とのつきあいに限られ.まったく交わりの無い社会より悪いように思われた.結局彼はムースと数人の訪問者を除いて,一人で住んでいる.
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 エレベーターが3階に着いた.ドアが横に滑ると.ムースが寝室に音も無く入り,ハリーの高いスツールに直行する.
 望遠鏡が乗っている台車を,ハリーが横に押しやった.空は腕を下げ,犬の頭を軽く叩いてやる.ラブラドルレトリーヴァーの口から冷えた缶を取った.ムースは最大限のきれい好きを発揮して,底のほうをくわえていた.ハリーはままならぬ足のあいだに缶を置き,スツールの向こう側にあるテーブルからペンライトをつまみあげると,それがクアーズで,ダイエット・コークでないのを確かめるため,缶に光線をあてた.
 この二つの飲料はいずれも,ムースが取ってくるように教えられているもので,たいていの場合,この利口な犬は"ビール”と”コーク”の言葉の違いを聞き分け,命令を忘れずに,キッチンまで行くことができる.たまさか,その途中で忘れてしまい,間違った飲み物を持ってもどって来ることがある.もっとまれだが,あたえた命令となんの関係もない妙な品物をくわえて来ることもある.スリッパ片方,新聞を二回.開封していないドッグ・ビスケットの袋.殻を歯で割らぬよう,そっと堅茹卵を運んで来たことも一回あるが,いちばんの変り種は,家政婦の備品から,便器用のブラシを持ってきたことだ.間違った品を持ってきたとしても,ムースはいつでも,二度目には成功している.
 ずいぶん前に,この犬がしでかす時折の間違いは,ただ主人を喜ばすためだけだと,ハリーは結論づけていた.ムースとの親密なつきあいで,彼は犬にはユーモアのセンスがあると確信するようになった.
 この夜は,間違いでもしゃれでもなく,ムースは注文どおりのものを持ってきた.ハリーは,クアーズの缶を目にして,いっそうのどの渇きを覚えた.
 ペンライトを消し,彼は言った.「いい子だ.いい,いい,とーてもいい犬だ.」
 ムースは幸せそうにくんくん鼻を鳴らした.スツールの足元の暗がりに座り,次の使いに出されるのを待って,桃をそばだてている.
「いけ,ムース.やすめ.いい子だ」
 主人がビールのタブを引いて,大きく一飲みする間に,がっかりしたラブラドールは隅に引き下がり,床に丸くなった.

私のひとこと


クーンツの作品ではなんと言っても,スーパードッグのゴールデンが主人公の「ウォッチャーズ」が有名ですね.B級作品とはいえ映画化され,テレビでも何度も放映されましたから,ご覧になった方も多いと思います.
しかし私はそれ以前に翻訳された,この「ミッドナイト」のムース(ブラックのラブということもあって)にひかれました.クーンツを読んだのはこの作品が最初でしたが,ムースの細かな描写っを読んでると,この作者はほんとに犬好きなんだなと思いました.
このころ(1991年)は,まだ日本では介護犬は知られていなかったから,犬にこんなことができるのかと,感激したもんです.私は食事中によく,はしを落っことすのですが,それをひろってくれるくらいは,クロに仕込むことはできました.ただし強くかみ過ぎて折ってしまう事もたびたびでしたが.